ジャズピアニスト、トランペッター平手裕紀の自己紹介

はじめまして!名古屋を中心にジャズピアノとトランペットを演奏しています。
平手裕紀(ひらてゆうき)と申します。
去年まで名古屋音楽大学に在籍していて、今年からは晴れてミュージシャンとして、名古屋近辺で活動しています。

詳しいプロフィールはこちらから Biographyへ

これから、僕の今までの歩みを振り返って行きたいと思います。
こんな人なんだ、と思ってくれたら幸いです。

生い立ち

1994年 愛知県春日井市に生まれました。

2才10ヶ月の頃から母親がヤマハ音楽教室に通わせてくれたので、物心ついたころにはヤマハに通うのが日課になっていました。なので、音楽が嫌いになるということもなく、ヤマハで音楽の楽しさを学びました。
ヤマハに高校卒業するまで通ったので、15年以上通ったのか・・・。

ヤマハはコース制になっていて、2才で始めた頃は歌やリトミックなどを、小学生の頃からエレクトーンを習い、エレクトーンのグループレッスンでアンサンブルの楽しさを学びました。

エレクトーングループの発表会にて。この頃は本番の演奏でめちゃめちゃ緊張してました。

さすらいのギター少年だった頃もあったようです・・。

小学校時代

続けていたヤマハでピアノの個人レッスンが始まりました。

先生に厳しくご指導していただきました。
この頃のレッスンのことは今でもよく覚えています。。

3年生 町内神楽保存会

この頃から、住んでいた町内に神楽保存会があることを知り、入会しました。
(神楽といっても、僕のやっていたのはいわゆる篠笛でした。)
篠笛ってなに?という方もいらっしゃるかと思いますので説明すると、
神社の祭典の際に、神社の神楽殿にて神に奉納するときに演奏する楽器で、和太鼓と篠笛の編成で演奏されます。
地元の神社で毎年近くの町内の神楽保存会が1年づつ演奏を担当して回していて、僕らの町も他の町と同じようにその日に向けて練習しています。

この保存会に小学3年生から高校卒業まで週一で通いました。
いまも後輩が頑張ってくれているのかなあ。。。

このことがきっかけで実は今でも年に一度、篠笛を披露する機会があります。。本業ではないので緊張しますが。。

 

4年生 部活動 男子一人の音楽部

小学4年から部活動に入ることができた僕の小学校で唯一の音楽系の部活動が音楽部(いわゆる鼓笛隊)でした。
迷わずその入部を決めましたが、入ってみたらなんと男子は僕一人。。。苦労もいっぱいありました。
本番の時に着るユニフォームは女子の物しかなかったり、、単純に居場所が。。

最終的にユニフォームは新調してもらいました。笑
トランペットをここで学びました。ここでトランペットを専門に楽団に入られている方にしっかりご指導いただいたことが、とてもよかったと思っています。

 

中学校時代

部活動は迷わず吹奏楽部へ。経験者ということで楽器は優先的にトランペットにさせてもらえました。
中学の部活で初めて経験したことは

吹奏楽コンクールでした。

すっかり今では認知のある吹奏楽コンクール。参加学校は中学、高校、大学、一般すべて合わせると一万以上の団体がエントリーして競い合っています。
大会は各地区大会から始まり(ない地区もある。ない地区は県大会から)、県大会、支部大会、そして全国大会があり、各学校金賞、銀賞、銅賞のどれかの賞をもらいます。中学時代の僕は県大会の前の地区大会で銀賞どまりでした。県大会にも進めないことに悔しさを覚えました。顧問の先生と喧嘩したり後輩と喧嘩したり、辛いこともいっぱいありましたが、仲間と音楽で繋がれる幸せに感動して、吹奏楽が好きになりました。そして、高校では吹奏楽の強豪校に入っていい思いしようと心に決めていました。。

ソロコンクールに出場

中学二年の時、管楽器個人・重奏コンテストという大会にトランペットで出場し、人生初のソロのコンクールにエントリーしました。

小学校の頃のトランペットの恩師にレッスンを受けたりして、順調に支部大会を勝ち進み、本大会まで駒を進めました。

その本大会のことは今でもよく覚えています。

会場入りして、客席で他の人の演奏を聞くと、
((なんだこれ、今までの大会のレベルとは比べ物にならない。。めっちゃうまい。。))
となりました。

その時演奏していたのは、その大会で優勝した、遠山寛治という人でした。
彼は後に友人として彼のコンクールで僕がピアノ伴奏をしたり、ビッグバンドを一緒にやったりする仲になりました。

実はこのホームページの製作者も彼なんです。

ちなみに彼は現在、ブロガーさんでもあります。彼のブログ、とても面白いのでぜひチェックしてみてください!
http://kanjilog.com/

 

高校時代

ソロコンクールの結果は本大会銀賞に終わりましたが、本大会には出場できたということで、自分が志望していた、愛工大名電高校から勧誘があり、指定校推薦で無事、名電高校に入学しました。
愛工大名電高校の吹奏楽部は、吹奏楽ファンの方ならご存知かと思いますが、全国大会最多出場校の歴史ある伝統校で、現在も東海地区の強豪校として活躍しています。

部員は100人以上、僕の入ったトランペットパートだけでも30人近く部員がいました。クラスに必ず吹奏楽部の友達が5人はいました。それぐらい、学校全体から見てもかなりの人数を吹奏楽部員が占めていました。

練習はほぼ毎日、毎朝4時起きの生活でしたが、そのおかげでたくさんのことを学びました。
数多くのイベントに参加し、ボランティア演奏、刑務所慰問演奏、コンクール、海外遠征など、思い出はいっぱいです。
中でも記憶に残ったイベントをいくつかお話しします。

全国大会

毎年行われる全国大会、とてつもない倍率で勝ち進んできた各支部の強豪校が揃う全国大会は、演奏ももちろん、その場の空気や緊張感は未だに記憶に残っています。僕は大阪城ホールで行われる全日本マーチングコンテスト、そして全日本アンサンブルコンテストに出場することができました。

スイス・バーゼルタトゥー音楽祭

3年の夏、当時全校大会に”三出制度”というものがあり、(現在はない。僕らの年が最後だった)その年にちょうどはまった為、全国大会に出ることができなかったのですが、その代わりにスイスに二週間、演奏旅行に行きました。
スイスのバーゼルという地区にて毎年行われているバーゼル音楽祭に出演しました。
二週間のうちほぼ毎晩、7000人の観客の前で日本の和太鼓などを取り入れた演目を披露しました。
詳しくはこちら

 

定期演奏会

毎年、年明けに行われる定期演奏会は、昼夜二回公演で6000人を動員する大人気イベントで、現在のチケットを入手するのが困難のようです。
また、この定期演奏会で3年生は部を卒業し、世代交代となるため、思い入れのあるイベントです。
今年は終わってしまいましたが、来年もまた行われるでしょう。皆さん、要チェックですよ。

CD発売

僕が卒業して2年後にCDが発売され、さらに注目が集まっています。
購入はこちらから

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

 

大学時代

今まで書いたように、高校まで音楽しかやってこなかったので、大学進学を考えた時、とても悩みました。
本当に音楽しかやってないなあ。。
真面目に勉強して、有名大学に進学を目標に、頑張って、、ませんでした。。

結局音楽大学に進学を決め、前から興味のあったジャズという音楽に触れるべく、ジャズ・ポピュラーコースに入学しました。

音大でピアノ科や管楽コースに入らなかった理由は、僕は個人で演奏するよりも他人と息を合わせながら一緒に演奏することが好きだった(吹奏楽や、エレクトーンのグループレッスンを経験して好きになったのかも)という点です。ジャズという音楽はセッションやバンドでの演奏、ビッグバンドなど他人と演奏できる様々なフォーマットがあり、どんな演奏もジョイがあります。そこに凄く惹かれたんだと思います。

ジャズを志してからは大学のレッスンや授業、そして学外での先輩ミュージシャンとのギグ等でスキルを上げていきました。
ジャズという音楽は自由で、今までの僕の音楽人生で勉強したすべてのことが生かされていて、そのことが凄く嬉しいです。
ピアノとトランペットの二つの楽器ができると、便利なことがあります。ピアニストとして、コンピングをする際に、管楽器の気持ちがわかってコンピングできたり、ピアノで和音を研究し、ピアノの響きを意識してトランペットでソロをしたり、ピアノを左手で弾きながらトランペットを右手だけで持って吹くみたいな芸ができたり、、実際のところうまくできているかはわかりませんが。
この二つを真剣に勉強してきた結果、今ではその両方で演奏の仕事をさせていただけるようになりました。

CUG Jazz Orchestra

2017.3.25  名古屋能楽堂にて

平手裕紀トリオ

2015.12.13  穂の国とよはし芸術劇場PLATにて

2017.4.30  穂の国とよはし芸術劇場PLATにて

 

これまでたくさんのことがあったし、これからもたくさんのことがあると思います。

これからもそんな僕を見守ってくださると嬉しいです。

益々、活動を活発化していきますので、これからも平手裕紀をよろしくお願い致します!!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP